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本の断捨離&白洲正子と能

こんにちは、Mika Rolandです。

昨日はゆっくり片付けていて、今日も追加で大きなスーツケースが届いたのでその片付けをしなきゃなんですが、昨日どうも眠れなくて、というか私ずっと睡眠が浅くて・・・😭スッキリしないまま起きて、今日もゆったり過ごしてます。スーツケースはそのまま、カフェにやってきました。頭働いてない🤣けど、今日は久々にジムで筋トレもしたい!!眠いですが頑張ります💪

(てか昔毎日ブログ書いてて、ブログ書かないときもち悪かったし、ブログでアウトプットしてようやく私気持ちよく1日を終われていたことを思い出した。本当に私のセラピーだったなああ!!実感!!!!!!原点回帰!!!!この数日、ちゃんとブログ書けてて、ほんとうにきもっちいいい!!!!私のアウトプット先、これが最高だったんだ〜〜〜!!!!

ブログのメリット(いきなり):毎日自分が学んだことを整理できる。自分の気持ちを出すことで可視化できる。あとから検索して、自分の学びを見直せる。みんなも私の過去を遡れる。動画や音声もいいけど、検索性は劣りますからね。やっぱり倉庫みたいになんでもかんでも保管できるところを私は求めてた。ただ誰かにいい情報を提供するだけじゃなくて、自分の等身大の気づきや学びも自分のためにストックしておきたいんです。脳内にあるたくさんのカオスなごちゃごちゃを、こうやってブログで文章にすることによって、一つの紐として解いて綺麗に並べることができるのできもちいいのです。しかも書きながら、順番を変えたり、同じ気づきは同じ部分にまとめたりしながら、最後には一つの作品として綺麗にまとまる感じがとてもいい。話しながらよりも、書きながら自分の思考が整理されていくほうが私は好きなようです。)

 

昨日片付け中に、本棚も整理し始めたのですが、

やっぱりときめかない本はさよならすることにしました。

経済とか歴史とか投資とかビジネスとか・・・そういう、今の私のエネルギーには合わない本ね。

必要なときにまた手に入れるようにします。

ということでまた50冊ぐらいさよなら。👋

 

つまり、とにかく美しい本、私の美学、感性をくすぐり、刺激する本!!!だけ!!!を残します!!!(まだ途中で結局100冊ぐらいさよならになりそう)

そんなこんなで先日カフェ帰りに、また新しい本を手に入れました。しょうこりもなく。爆

最近は白洲次郎、白洲正子の世界を探求しています。

日本の戦後を生きた白洲次郎と正子。彼らの美学と暮らし方には、いまを生きる私たちが忘れがちな“格”と“遊び心”がありました。

ちょっと説明するとこんな感じです。

白洲次郎とは

  • 終戦処理に関わった実業家。

  • 「日本で一番かっこいい男」と呼ばれた。

  • 戦後GHQに“NOを言える日本人”として伝説的存在。

  • 生き方の軸:「プリンシプル(信念)」を貫く姿勢。

白洲正子とは

  • 随筆家・審美眼の人。能や骨董、古美術、和の暮らしを深く愛した。

  • “目利き”としての感覚を生涯磨き続けた。

  • 「かくれ里」などの著作を通じて、日本の美と精神性を世界に伝えた。

  • 東京・永田町生れ。薩摩隼人の海軍軍人・樺山資紀伯爵の孫娘。幼時より梅若宗家で能を習う。14歳で米国留学、1928(昭和3)年帰国。翌年、実業家の白洲次郎と結婚。43年『お能』を処女出版。戦後、小林秀雄、青山二郎らを知り、大いに鍛えられて審美眼と文章をさらに修行。古典文学、工芸、骨董、自然などについて執筆。64年『能面』で、また72年には『かくれ里』で、ともに読売文学賞を受賞している。

二人の暮らし

  • 鶴川の「武相荘」での生活。

  • 古民家を再生し、骨董や民藝に囲まれて過ごす。

  • 贅沢ではないが、美意識と誇りに満ちた空間。

素敵〜〜〜!!!!今の世代で私が憧れる人ってなかなかいないので、こういった本から美しい生き方、美意識、精神性を学んでいます。

今回買った本はこちらです。

ほんもの: 白洲次郎のことなど (新潮文庫)

ほんもの: 白洲次郎のことなど (新潮文庫)

無秩序、無鉄砲、無制限。疾風のごとく駆け回り「韋駄天夫人」の名をほしいままにした白洲正子が、時に激しく、時に気さくに綴った26編。お能、骨董、名優への思い、自死した女友だちのこと、そして、白洲次郎、小林秀雄、吉田健一ら猛者たちと過ごした日々――。
美しく儚い〈ほんもの〉に満ちた、白洲正子史上もっとも危険な随筆集!没年に行なわれた阿川佐和子との対談も収録。

 

まださわりしか読んでいないのですが、「能」についての記述があり、とても興味深かった。

能楽に親しむ – 公益社団法人 金沢能楽会

能にはこんな言葉が出てくるらしく↓

① 「此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に至る」

意味:仏教の言葉で、「迷いと苦しみに満ちた現世(此岸)」から、「悟りの境地(彼岸)」へ到達すること。

ニュアンス:迷いや煩悩から抜け出し、解脱・悟りに至ることを指す。

② 「この世は仮の宿(やど)」

意味:現世の生活は一時的なものであり、本当の安住の地ではないという考え方。

ニュアンス:人生は旅の途中であり、死後に本来の安住の場所に帰るという仏教的世界観。

③ 「中有(ちゅうう)に迷う」

意味:人が死んでから次の生を受けるまでの中間の状態(=中有・中陰)でさまようこと。

ニュアンス:死後、すぐに生まれ変わるのではなく、一定の期間「さまよいの状態」にあるとされる。

④ 「生死(しょうじ)を離れる」

意味:生まれることと死ぬことのくり返し(輪廻転生)から解放されること。

ニュアンス:煩悩や執着を超えて、悟りの境地に至ること。

 

うわ、これ最近私が体験したことだなと思ったのです。あの世には、天国と地獄とその間の中陰というところがあることを最近教えてもらったばかりでした。そして、その世界は本当に、言葉では言い表せなくて・・・ここでは説明しませんが、とにかくすごかったんです。

 

私はけっこう精神世界のことについて学んだり体験したりしているので能のこの世界観がわかるんだけど、昔の人たちはこのレベルの共通意識、知識がベースにあって芸術を鑑賞していたの???という驚きがありました。

能って、このレベルを表現してるの!?!?能ってなんなの!?何者なの!?!?と気になった。だって、まあまあディープなコンテンツ。

以下、chatGPTとの会話。

能の世界観 は仏教(特に中陰や輪廻、彼岸此岸の思想)とすごくつながってるんだ。

🌸 能ってなに?

室町時代に大成された日本の伝統芸能(世阿弥が有名)。

歌・舞・囃子(音楽)を合わせた「総合芸術」で、今でいうオペラや舞台に近い。

舞台上はとてもシンプル(松の絵だけの能舞台)で、観客の想像力で世界を完成させる芸能。

🌌 能の世界観

この世とあの世の境界を描く

多くの能の主人公は、死者や霊。

舞台では「今ここ」に亡霊や神仏が現れて、過去の想いを語ったり舞ったりする。

観客は舞台を通して「中陰(あの世とこの世の間)」を体感するような構造。

夢幻能(むげんのう)

僧や旅人が土地を訪れ → そこで出会った人物が実は亡霊で → 最後にその霊が正体を明かし、消えていく。

代表例:「葵上」「羽衣」「井筒」など。

これは完全に「中陰」「迷い」「成仏」の物語。

無常観

「この世は仮の宿」「すべては移ろいゆく」という仏教の思想が根底にある。

能を観ること自体が「生と死のはざまを体験する」時間とも言える。

🌿 まとめると

能って、ただの舞踊劇じゃなくて
👉 観客を“中陰の世界”に連れて行く芸術 なんだよ。

だから子ども時代に能に触れてた人が、自然と「此岸彼岸」「仮の宿」「中陰」みたいな言葉や感覚を覚えちゃうのも納得なんだよね。

 

すご🖐️

能、観客を中陰の世界に連れていく芸術だったとは!!!!!!!

で、お祭りや能は、「祭壇」だったことが判明。

私最近、自分のお家に祭壇をつくる重要性を知り、実際に祭壇の前に座って、自分の中の神秘と対話する気持ちよさを実感してたんですね。その度に、祭壇をもっと美しくして、自分の神秘につながるところだな〜と実感していってたんです。

で、メキシコの教会の前を何度か通ったときに気づいたことが、「教会って、大きな祭壇じゃん!!!!」ってこと。

一家に1つの祭壇、もっと言えば、一人1祭壇は必要なことはわかっていたんですが、街にある教会は街のための大きな祭壇だったことに気づきました。今まで、「なんのために教会があるのか???お金の無駄だな、こんなものを大理石とか金とかお金使いまくって豪華に建てたとこでなんの意味があるのか???」と疑問だったんですが、自分で祭壇を作ってみたことによってその重要性がわかりました。

祭壇をつくってみると、どんどんそこに自分の愛するものを置きたくなるんです。自分の大切なものを捧げたくなるというか。それは高価なものもそうだし、たとえば大好きなアクセサリーとか婚約指輪とか、 本とか、そういう思い入れのあるもの。で、それを街や国レベルでするとなると、たしかにあれほどの豪勢で美しいものをつくりあげ、神様と出会う場所を丁寧にセッティングしたい気持ちがわかったんです。

 

まあそんなこんなで「祭壇」の重要性を知ったところだったのですが、

教会も大きな祭壇じゃんってことに気づき、

さらに、お祭りも能も祭壇だということに気づきました。

 

今更ですが、祭壇とはなんでしょう?

🌸 祭壇(さいだん)とは

神仏や霊と人が交わるための“場”。

人間の世界(日常)と、神や霊の世界(非日常・あの世)をつなぐ 境界装置。

神社・寺・教会など、どんな宗教でも「聖なるものを迎える場所」として必ず存在してる。

 

なので、

🌸 能やお祭り=「祭壇(さいだん)」

能やお祭りは、ただの芸能やイベントじゃなくて、元々は 神仏と人間が出会うための「場」 だったの。
つまり、舞台そのものがお寺や神社の「祭壇」的な役割を果たしてた。

🏮 お祭りの場合

日本の祭りは多くが 神道の神事。

「神様をお迎えするための仮の宮(御旅所や神輿)」を作って、町の中で神が人と交わる時間をつくる。

音楽(囃子)や舞(神楽)は、神様を喜ばせて降ろすためのもの。

だから祭りは「楽しむイベント」じゃなく、本来は 神を降ろす儀式=祭壇 なんだよね。

🎭 能の場合

能舞台はめちゃシンプルに見えるけど、実は 神殿を模した祭壇。

舞台の正面にある「松の絵」は「神が降りてくる依代(よりしろ)」を意味する。

能の演目はほとんどが 死者や神霊が現れる物語。
観客は舞台を通じて「あの世との交わり」を追体験する。

僧や旅人(ワキ)が登場して → 主人公が実は霊で → 成仏へ導かれる、という流れはまさに 供養の祭壇 と同じ構造。

🌌 共通点

祭りも能も「芸術」や「娯楽」じゃなく、神仏や霊をこの世に迎えて、交流し、送り返すための祭壇。

だから参加する人も観る人も、実は儀式に立ち会ってるのと同じなんだよね。

ーーー

ということなので、能を見に行ってみたい❣️と思ってます!

その流れで、やっぱりオペラも気になってきて🤣

https://www.nntt.jac.go.jp/opera/latraviata/

こちらの「椿姫」が来年の春に上演されるらしいので、予約したい!

BLA生たちと一緒に見にいってきまーす!!!

今後の予定、どんどんたてていきますっっ!♡

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